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「きょうはいい日だった。」(※)  高田文月
授業料をいつも月遅れでしか払ってくれないスウちゃんのお母さんに朝一番の催促電話を かけた。着信ナンバーみて、居留守を使うのはわかっている。これまでいろいろ連絡してもまともに話せたことはなかったのだから。留守電にセットしてないの でメッセージも残せない、また直接家のポストに手紙を入れに行くか、でもとにかく電話はしておかなくてはな。あきらめきってダイヤルしたら、三回のコール でスウちゃんのお母さんが出た。繋がった。それから、いつも迷惑ばかりかけてすみません、と謝った、初めて。お詫びを言ってからお母さんは電話でいっぱい スウちゃんのことをしゃべっていた。 スーパーマーケットのアルミ缶回収ボックスに持っていくつもりで、ポリ袋にまとめてあった缶をとりあえず玄関にドカンと置いた。まずは歩いて二分の内科医 へ二週間分の薬を取りに行く。道路に出たら汚い長い髪のオッサンが電柱の下でゴミ袋を漁っている。きょうはゴミ回収の日で、分別しないで普通ゴミに混じっ て捨てられているアルミ缶を探しているのだ。そんな男たちがウロウロするからわたしは回収車の来る直前まで家のまえにゴミを出さない。それに分別したアル ミ缶はリサイクルボックスに持っていく。 でもその時、ついそのオッサンに声をかけてしまった。 「今から用事済ませたら、あと五分ぐらいで、角の青いテントの家から二軒目の家、前にアルミ缶出しとくからとりにきたらええわ」 オッサンはびっくりしたような眼を向けた。 薬をもらうだけなのに予想以上に時間がかかって、家に帰るのが遅くなった。 約束した缶を表に出して、他の男が持っていったらイヤやな。とふと見わたした。 斜め角の新しく建て変わったマンション入口の植え込みから黒い人影が起き上がってきた。 日当たりのいいぬくぬくした場所で男は待っていたらしい。 ころがるように走ってきて、オクサンありがとう、と頭をさげる。 眼鏡のツルがまん中の鼻をのせるところからポキリと折れていた。使い物にならない。耳にかけるところを持ってついふりまわした、つもりはなかったのだが、 ポンと弾みに柱にあたり、あっけなく折れてしまったのだ。そのまま眼鏡なしで暮らしている。レンズは大丈夫なのだからフレームだけ代えよう、として、何軒 かの店を回ったが、古い型でレンズが小さく今のスタイルに合うのはないらしい。子ども用なら、と言われて眼鏡なしで暮らしていた。不便だけど、コンタクト レンズもあるからと一年以上もそのままだ。それが今朝、ふと思いついた。家の中だけだから、針金で修理してテープで止めて繋いだらいいではないか。一年 七ヶ月ぶりにだ。 自転車の鍵が壊れた。折れ曲がって、鍵穴にやっと差したら、こんどは出てこない。それでも開錠状態のままだから走ることはできる。この前も別の古い自転車 の鍵を失くした。それはもう放置自転車のまま、見捨てた。かなりガタガタだった。それから家の鍵も落とした。大げさに鍵を付け替えたりするのは止めて諦め た。二度あったからもう一度あると内心びくついていた。それが、きょう来てこの程度ですんだ。 冬なのに日差しの明るい道を、さっきのアルミ缶のオッサンの歩いていった方角から男がやってきてすれ違った。たがいにヤアッて手で合図した。近くのアパートに二年前に出て行った夫だ。すぐ近所なのに道で出会うなんて初めてだ。あれっと、顔をみたら笑った。 深夜まだ会社で働いている息子に、ひやかしメールをした。 働きすぎるな、過労死するぜ、もう先に寝る。消灯。返事不要。旨い酒飲んだ。 イワンデニソヴィッチは強制労働収容所で一日のおわりに 硬いベッドに横たわってほほえんで言った。 きょうはいい日だった。(※)

「きょうはいい日だった。」(※)  高田文月

授業料をいつも月遅れでしか払ってくれないスウちゃんのお母さんに朝一番の催促電話を かけた。着信ナンバーみて、居留守を使うのはわかっている。これまでいろいろ連絡してもまともに話せたことはなかったのだから。留守電にセットしてないの でメッセージも残せない、また直接家のポストに手紙を入れに行くか、でもとにかく電話はしておかなくてはな。あきらめきってダイヤルしたら、三回のコール でスウちゃんのお母さんが出た。繋がった。それから、いつも迷惑ばかりかけてすみません、と謝った、初めて。お詫びを言ってからお母さんは電話でいっぱい スウちゃんのことをしゃべっていた。

スーパーマーケットのアルミ缶回収ボックスに持っていくつもりで、ポリ袋にまとめてあった缶をとりあえず玄関にドカンと置いた。まずは歩いて二分の内科医 へ二週間分の薬を取りに行く。道路に出たら汚い長い髪のオッサンが電柱の下でゴミ袋を漁っている。きょうはゴミ回収の日で、分別しないで普通ゴミに混じっ て捨てられているアルミ缶を探しているのだ。そんな男たちがウロウロするからわたしは回収車の来る直前まで家のまえにゴミを出さない。それに分別したアル ミ缶はリサイクルボックスに持っていく。
でもその時、ついそのオッサンに声をかけてしまった。
「今から用事済ませたら、あと五分ぐらいで、角の青いテントの家から二軒目の家、前にアルミ缶出しとくからとりにきたらええわ」
オッサンはびっくりしたような眼を向けた。
薬をもらうだけなのに予想以上に時間がかかって、家に帰るのが遅くなった。
約束した缶を表に出して、他の男が持っていったらイヤやな。とふと見わたした。
斜め角の新しく建て変わったマンション入口の植え込みから黒い人影が起き上がってきた。
日当たりのいいぬくぬくした場所で男は待っていたらしい。
ころがるように走ってきて、オクサンありがとう、と頭をさげる。

眼鏡のツルがまん中の鼻をのせるところからポキリと折れていた。使い物にならない。耳にかけるところを持ってついふりまわした、つもりはなかったのだが、 ポンと弾みに柱にあたり、あっけなく折れてしまったのだ。そのまま眼鏡なしで暮らしている。レンズは大丈夫なのだからフレームだけ代えよう、として、何軒 かの店を回ったが、古い型でレンズが小さく今のスタイルに合うのはないらしい。子ども用なら、と言われて眼鏡なしで暮らしていた。不便だけど、コンタクト レンズもあるからと一年以上もそのままだ。それが今朝、ふと思いついた。家の中だけだから、針金で修理してテープで止めて繋いだらいいではないか。一年 七ヶ月ぶりにだ。

自転車の鍵が壊れた。折れ曲がって、鍵穴にやっと差したら、こんどは出てこない。それでも開錠状態のままだから走ることはできる。この前も別の古い自転車 の鍵を失くした。それはもう放置自転車のまま、見捨てた。かなりガタガタだった。それから家の鍵も落とした。大げさに鍵を付け替えたりするのは止めて諦め た。二度あったからもう一度あると内心びくついていた。それが、きょう来てこの程度ですんだ。

冬なのに日差しの明るい道を、さっきのアルミ缶のオッサンの歩いていった方角から男がやってきてすれ違った。たがいにヤアッて手で合図した。近くのアパートに二年前に出て行った夫だ。すぐ近所なのに道で出会うなんて初めてだ。あれっと、顔をみたら笑った。
深夜まだ会社で働いている息子に、ひやかしメールをした。
働きすぎるな、過労死するぜ、もう先に寝る。消灯。返事不要。旨い酒飲んだ。



イワンデニソヴィッチは強制労働収容所で一日のおわりに
硬いベッドに横たわってほほえんで言った。
きょうはいい日だった。(※)

「午前0時の小説ラジオ」・「あの日」からぼくが考えてきた「正しさ」について  高橋源一郎

「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について」という本を出しました。この本には、去年の3月11日から1月1日までに書いたツイートと、その間 に書いたものの多く(長いものはその冒頭)を載せています。ぼくは去年、ずっと震災と原発のことを書いていたようでした。

 ツイートは本にしないと決め、そのことはずっとここでもいってきました。けれど、この300日ほどの間のことは残したいと思ったのでした。だから、それ以外の期間のツイートは載っていません。これからも本にはしないつもりです。

振り返ると、ぼくはその間ずっと、「正しさ」とはなにかと考えてきました。できるだけ厳密に、できるだけ自分勝手ではなく、でも、できるだけ素早く、考えたいと思ったのでした。そのことを考えることは、ぼくたちがものを考える時、もっとも大切なことのように思えたのでした。

この一年考えていた「正しさ」について、それからそのあと、考えきた「正しさ」について、ぼくたちを悩ませている「正しさ」について、これまでとってきた メモを見ながら、できたら、何日か続けて、ツイートしてみたいと思っています。聴いてくださると嬉しいです。では、午前0時に。

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「午前0時の小説ラジオ」・「あの日」からぼくが考えてきた「正しさ」について

ハンナ・アーレントという、とても優れた、ユダヤ人の女性哲学者が、ナチスドイツの強制収容所の所長で、「人道に対する罪」に問われた、アイヒマンの裁判を傍聴した記録が残っている。有名な本だ。

そこで、アーレントは、アイヒマンを厳しく批判している。もちろん、アイヒマンは、あらゆるところから非難されたのだ。人類の敵。殺人鬼。けれど、アーレ ントの批判はもっとも深いところからされたのだった。アイヒマンは「仕方なかったんだ」と答える。「命令に従っただけだ」と。

アーレントは、その、大きな罪を犯した人間の「小ささ」に衝撃を受ける。彼は自らの意志で進んで罪を犯したのではないのかもしれない。だからこそ、その怠慢の故に、罪を犯す意志の不在の故にこそ裁かれねばならない、とアーレントは考えた。「悪の陳腐さ」こそが悲劇の原因なのだと。

そして、アイヒマンを弾劾したその刃で、なすすべもなく虐殺に加担してしまった者、消極的に関わらざるをえなかった者、犯罪を見逃した者、抵抗などできな いと座りこんだ者の罪を問う。そして、その苛烈な追及は、積極的に抵抗することを選ばなかったユダヤ人同胞にまで及んだのである

ぼくは、アーレントを読みながら、彼女のいうことが全く「正しい」と思いながら、どうしても、諸手をあげて賛成することができなかった。彼女の峻厳な「正 しさ」、ついには犯罪に対して無知であることさえ罪になる、その清浄な空気の世界では、ぼくは生きられないと感じたのだ。

彼女の理想とする世界で生きられる住人は、いったいどのくらいいるのだろう。彼女が厳しく責める「悪」の反対側にしか「善」がないとしたら、その「善」の世界は、あまりにも息苦しいのではないか。ぼくは、そう感じたのだ。

どのような状況にあっても、人間的な叡知と倫理を失わない者だけが「正しい」なら、「正しく」ありつづけることができる人間はほとんどいなくなってしまうだろう。これが、アーレントのような、高潔で、論理と倫理を究めようとする人間がいう「正しさ」に対する、ぼくの不満だ。

「正しさ」への不安は、まだある。一つは、「正しさ」を原理的に究めようすると、そこに至る者などいなくなってしまうかもしれないことだ。それはすでに述べた。だが、そこにたどり着かなくとも、もっと手前で、ぼくたは、大きな問題にぶつかるのである。

とりわけ、「あの日」以来、ぼくたちは、二つの「正しさ」の前で選択を迫られることが多くなったように思える。あなたは「原発推進」派ですか、「反原発」派ですか? 低レベルの放射線は危険だと思いますか、思いませんか? 増税は必要ですか? TPPに反対? 賛成?

しかし、正解は、ほんとうに、その二つのどちらかなんだろうか。そして、いやいや、そのどちらかの答を選ぶと、それに反対する人たちから、「この資料を知らないのか?」とか「こんなことも知らないのか?」と罵られなければならないのはなぜなんだろうか。

無理矢理回答を迫ること、その回答者に、専門家なみの知識を要求すること、自分の意見だけが「正しい」と考えること、その結果として、自分の意見の反対者 は、無知で愚妹な人間か「悪」であると考えること、「悪」であるから排除して当然と考えること。おかしいじゃん、どれも。

それらがどれも不自由に感じられたら、不自然に思えたら、そういうことじゃないんじゃないかなあとつぶやきたくなったら、そんなことよりもっと大切なことがあるじゃんといいたくなるのなら、そういう、自分の直感、内側の声に耳をかたむけたい。それをこそ、大事にしたい。

うん。こうやって、ぼくがいっていることも、すごくマジメすぎる感じがするな。というか、息苦しいな。「正しさ」を求めることは怖い、というぼくの言い方 も、なんだかちょっと不自由な感じがするんだ。人は、なにかを否定しようとすると、たいてい、その否定するものに似てくるんだ。

この間、「吉本隆明が語る親鸞」という本を読んだ。吉本さんが、親鸞というお坊さん(が語ったこと)について語っている。千年近くも前の人が言ったことなのに、いま、目の前でしゃべっているように、強く説得される。ほんとに不思議だ。ぼくも仏教のことなんか、ほとんど知らないのに。

親鸞が生きていたのは、戦乱と飢饉と震災の続いた時代だった。いまと同じような、というかいまよりずっとひどい時代だった。その頃、優れた僧侶は、文学者でもあり、哲学者でもあり、同時に社会の改革者でもあった。苦しむ一般民衆の中に入りこんで、その中で行動し、考え、共に悩んだ。

親鸞のことばでいちばん有名なのは「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」だろう。善人だって浄土に救われるのだから、悪人の方が救われやすいに決まってる、と親鸞はいう。でも、これ、どういう意味なんだろうか。悪いことをした方がいいってことなんだろうか。

実際に、親鸞のことばをそんな風にとって「悪いことをいくらやったっていいんだ、どうせ救われるんだから」といった弟子もいた。まさか、そんなバカなことをいうわけがないよね。親鸞の意図は、もっとずっと別のところにあったんだと思う。もっとずっと、深い意図が。

親鸞は別のところで、弟子に「おまえはおれの言うことならなんでも信じるか」といった。弟子は「はい」と答えた。すると親鸞は「それなら、おまえは人を 1000人殺して見ろ」といった。弟子は「いや、いくらあなたの仰せでも、わたしには人を一人殺す器量もありません」と答えた。

すると親鸞は「そうだろう。殺すべき機縁があれば、人間は1000人でも殺すことができる。けれども、殺すべき機縁がないと一人だって殺せない。それが人間というものなんだ」と答えたのだった。

その頃、ふつうの人びとには悩みがたくさんあった。いまもだけれど。現実が苦しいからこそ、死んで浄土に行くことが大きな夢だった。けれど、どうすれば、 浄土に行けるのだろう。善いことをたくさんする? 難しい仏教の哲学を勉強する? 苦行する? どれもふつうの人には無理だった。

生活が苦しい庶民は、ふつうの意味では「悪い」こともしなければならなかった。難しい仏教の哲理なんか誰も教えてくれなかったし、そもそも、字すら読めなかった。親鸞が相手にしたのは、そういう一般人だった。彼らを救わなければ、仏教に意味なんかないと彼は考えたんだ。

だから、親鸞は、人間というものはやむにやまれず「悪い」ことをしてしまうものだといった。でも、同時に、そのことを恥ずかしく、つらくも感じて、思わず、意味もわからず、「念仏」を唱えたりする。それでいいのだ、といった。人間というものはそれ以上でもそれ以下でもないのだと。

当時、親鸞の回りには、深い信仰を持つ高僧たちがたくさんいた。でも、親鸞は変わっていた。他のエラい坊さんはどうかしらないが、私はグラグラしている。 浄土に行くことが嬉しいと思えるときも思えないときもある。仏の教えを信じているときも、なんか信じられないときもある。

でも、ふつうの人間はそうじゃないだろうか。そういう人間を相手にするのが宗教じゃないのか。なにか絶対に「正しい」教えがある、って変じゃないだろうか。親鸞は、不信仰の人、「悪い」ことをしてしまいそうな人、いや、宗教から離れそうな人たちとの絆を絶対に切ろうとしなかった。

アーレントの「正しさ」は、最終的に、弱い人たちを「向こう側」に追いやる。その「正しい」者たちの共同体には、「正しくない」者は入れない。悲しいことに、大半の人間には入る資格がないのである。アーレントほどの厳密さでは、ふつうの人には「正しい」行いなどできないのだから。

親鸞は、アーレントとは逆に、「悪」と「善」の距離を縮めた。もちろん、親鸞は「悪い」ことをしていいといったのではない。そのようにせざるをえない人間という生きものの運命を、深く知るべきだといったのである。少しだけ「悪く」、少しだけ「善い」、そういう生きものなのだと。

親鸞の目の前で、仏教の「正しい」教理をめぐって、血で血を洗う闘争が続いていた。「正しさ」をめぐって戦っていたのは、仏教だけではなかった。そして、おそらくは、千年の後のいまも、同じことは続いているのである。

「正しく」なければ「間違っている」のか? そんなことはない。「どちらが正しい」か決めなければならないのか? その間にこそいくつもの回答が眠っているのではないだろうか。ぼくたちの間を分断しようとするもの、それがどのようなものであれ、それが「正しい」とは思 えないのだ。

一度呟いたことがある。鶴見俊輔さんは、日本の歴史の中で教師たちが唯一光り輝いていた時期が、一度だけあると。それは、昭和20年、敗戦直後のことだった。教師たちは、自分たちが教えていたものがすべて「間違い」だと生徒の前で認めた。確かに、中身は国が決めたものだ。

けれども、戦争への道を教えたのは、「私」だと先生たちはいった。「正しさ」を失って、先生は生徒の前に立ち尽くした。そこに、上下の関係も、優劣の関係もなかった。なにが正しいのかわからない、という事態を前にして、先生と生徒は、ひとりの人間同士として向かい合っていた。

やがて、「民主主義」という新しい「正しさ」を教えることになり、かつての「先生」と「生徒」の関係が復活した。すべては元に戻ったのである。「正しい」 知識を生徒に教える先生という立場、それを黙って聞く生徒という立場とに。今晩は、ここまでです。聴いてくださって、ありがとう。
               

https://twitter.com/#!/takagengen

思想の「後ろ姿」  (高橋源一郎氏の吉本隆明さんへの追悼文)

いま吉本さんについて書くことは、ぼくにはひどく難しい。この国には、「わたしの吉本さん」を持っている人がたくさんいて、この稿を書く、ほんとうの適任者は、その中にいるはずだからだ。吉本さんは長い間にわたって、ほんとうに多くの人たちに、大きな影響を与えてきた。けれども、その影響の度合いは、どこでどんな風に出会ったかで、違うのかもしれない。半世紀以上も前、詩人としての吉本さんに出会った人は、当時、時代のもっとも先端的な表現であった現代詩の中に、ひとり、ひどく孤独な顔つきをした詩を見つけ驚いただろう。そして、この人の詩は、孤独な自分に向かって真っ直ぐ語りかけてくるように感じただろう。六十年代は、政治の時代でもあった。その頃、吉本さんの政治思想 に出会った人は、社会や革命を論じる思想家たちたくさんいるけれど、彼の思想のことばは、他の人たちと同じような単語を使っているのに、もっと個人的な響きを持っていて、直接、自分のこころの奥底に突き刺さるような思いがして、驚いただろう。あるいは、その頃、現実にさまざまな運動に入りこんでいた若者たちは、思想家や知識人などいっさい信用できないと思っていたのに、この「思想家」だけは、いつの間にか、自分の横にいて、黙って体を動かす人であると気づき、また驚いただろう。それから後も、吉本さんは、さまざまな分野で思索と発言を続けた。そこで出会った人たちは、その分野の他の誰とも違う、彼だけのやり方に驚いただろう。吉本さんは、思想の「後ろ姿」を見せることのできる人だった。どんな思想も、どんな行動も、ふつうは、その「正面」しか見ることができない。それを見ながら、ぼくたちは、ふと、「立派そうなことをいっているが、実際はどんな人間なんだろう」とか「ほんとうは、ぼくたちのことなんか歯牙にもかけてないんじゃないか」 と疑う。けれども、吉本さんは、「正面」だけではなく、その思想の「後ろ姿」も見せることができた。彼の思想やことばや行動が、彼の、どんな暮らし、どんな生き方、どんな性格、どんな個人的な来歴や規律からやって来るのか、想像できるような気がした。どんな思想家も、結局は、ぼくたちの背後からけしかけるだけなのに、吉本さんだけは、ぼくたちの前で、ぼくたちに背中を見せ、ぼくたちの楯になろうとしているかのようだった。
ここからは、個人的な、「ぼくの吉本さん」について書きたい。
ぼくもまた、半世紀前に、吉本さんの詩にぶつかった少年のひとりだった。それから、 吉本さんの政治思想や批評に驚いた若者のひとりだった。ある時、本に掲載された一枚の写真を見た。吉本さんが眼帯をした幼女を抱いて、無骨な手つきで絵本を読んであげている写真だった。その瞬間、ずっと読んできた吉本さんのことばのすべてが繋がり、腑に落ちた気がした 。「この人がほんものでないなら、この世界にほんものなんか一つもない」とぼくは思った。その時の気持ちは、いまも鮮明だ。大学を離れ、世間との関係をたって十年後、ぼくは小説を書き始めた。吉本さんをたったひとりの想像上の読者として。その作品で、ぼくは幸運にもデビューし、また思いがけなく、その吉本さんに批評として取り上げられることで、ぼくは、この世界で認知されることになった。ぼくは、生前の吉本さんに何度かお会いしたが、このことだけは結局、言いそびれてしまった。おそらく、それは「初恋」に似た感情だったからかもしれない。ぼくが、この稿に適さぬ理由は、そこにもある。
吉本さんの、生涯のメッセージは「きみならひとりでもやれる」であり、「おれが前にいる」だったと思う。吉本さんが亡くなり、ぼくたちは、ほんとうにひとりになったのだ 。
以上です。ご冥福をお祈りします。 

http://togetter.com/li/275611

中平卓馬『視線のつきる涯』

たしかに写真家が、カメラを向ける時、そのすべてにわたって写真家の意識がゆきわたっているわけではない。なるほど写真家においても<対象>にカメラを向ける意識、その大雑把な意識の方向性は働くかもしれない。だが、できあがった一枚の写真はその意識をはるかに乗り越えたものである。ベンヤミンはカメラが発明されるまでの<芸術>は意識が支配する<芸術>であったが、カメラは<芸術>に無意識の領域を持ちこんだとし、それを評価した。私もまたそう考える。写真は<作者>たる写真家の意識をつねに裏切り、意識を超えた世界を写真家につきつける。この偏差こそ実は写真家にとってかけがえのないたったひとつのものなのではなかろうか。つまり写真家は自分が撮影した写真を再び読むことを前提にしているのである。この再読という行為が写真を介して写真家を世界に結びつけるものなのだ。そしてこの行為はやはり意識によって、つまり言葉によって成り立つのだということ。当然、写真家は写真の「作者」であると言うことはできないだろう。なぜなら、写真家は作品以前にやがてできあがるであろう写真のすべてを所有していないのだから。

太宰治 『津輕地方とチエホフ』

    こなひだ三幕の戲曲を書き上げて、それからもつと戲曲を書いてみたくなり、長兄の本棚からさまざまの戲曲集を 持ち出して讀んでみたが、日本の大正時代の戲曲のばからしさには呆れた。よくもまあ、こんなものを、書く人も退屈せずに書いたもの哉、讀む人も退屈せずに 讀んだもの哉、さうしてこんなものでもたいてい大劇場に於て當時の名優に依つて演ぜられたものらしいが、よくもまあ、名優たちもこんなつまらない臺詞を大 眞面目で暗誦したもの哉、よくもまあ、觀客も辛抱して見てゐたもの哉、つくづく呆れ、不愉快にさへなつた。
        女  此頃お仕事をなさいませんのね。
        男  出來ないのです。行き詰つて其處から奧へどうしても突き入れないんです。
        女  今にお出來になりますわ。せきとめられた水が塞(せき)を破つて出るやうな勢で。
    馬鹿にするな、と言つてやりたい。これはほんの一例であるが、まあ、たいていこんな按配で、とても讀んで行けない。戲曲に限らず、大正時代の文學で、た いへん有名なものでも、今讀むと實にひどいのが多い。いちど全部、大掃除の必要があるやうに思はれる。それで、その戲曲の話だが、いろいろ讀んで、私には やはりチエホフの戲曲が一ばん面白かつた。チエホフの有名な戲曲は、たいてい田舍の生活を主題にしてゐる。いま私は、戰災のため田舍暮しを餘儀なくされて ゐるが、ちやうどいまの日本の津輕地方の生活が、そつくりチエホフ劇だと言つてよいやうな氣さへした。津輕地方にも、いまはおびただしく所謂「文化人」が ゐる。さうしてやたらに「意味」ばかり求めてゐる。たとへば、「伯父ワーニヤ」のアーストロフ氏の言の如く、
――インテリゲンチヤには閉口です。あの連中は我々の善良なる友人であるが、考へが偏狹で感情はうそ寒く、自分の鼻からさきの事はまるで見えない……何の 事はない、ただもう馬鹿なんです。少し利巧な見ばえのするやうな人間は、これはまたヒステリイ、疑ひと卑屈に蟲食はれてしまつてゐます……かういふ手合ひ は愚痴を言ふ、人を憎む、病的に讒謗を逞しうする。そして人に接するのにも、わきの方からそつと寄つて行つて、じろりと横目で見て、「ああ、あれは變態 だ!」とか、「あれは法螺ふきだ!」とか一口に言つて片づけてしまふ。ところが、例へば私の額に、どういふレツテルを貼ればいいか分らないやうな時には、 「あれは妙な奴だ、どうも妙な奴だ!」と言ふ。私が森がすきならこれも妙、私が肉を食はなければこれもやつぱり妙だと來る。まあ、かう言つたやうなもの で、自然や人間に對する素直な、清い、鷹揚な態度は既にないのです……ない、全くない!
    それからまた「櫻の園」のトロフイーモフ氏の言の如く、
――僕の知つてゐるインテリゲンチヤの大部分は、何物も、求めてゐないし、さうして何一つ仕事もせず、勞働に對しては今のところ無能です。彼らは自らイン テリゲンチヤと稱しながら、召使に向つては「お前」と呼び捨てにするし、百姓などはまるで動物扱ひにして、ろくすつぽ勉強はせず、本氣に讀書といふ事もし ない。全く何一つしないで、科學もただ口先で云々するだけだし、藝術の事だつてろくろく分りやしないんです。その癖、みんな眞面目で、みんな嚴肅な顏をし て、みんな高尚な事ばかり言つて、哲學者氣取りでゐますが、それでゐて我々の大多數は百人のうち九十九人まで、まるで野蠻人のやうな生活をして、ちよつと どうかすると、すぐ啀(いが)み合つたり、惡口をつき合つたりします。そんなわけで我々の口にする美しいみたいな話は、みんなただ自他の目を誤魔化すため に過ぎないのです。それはもう見え透いてゐます。現にこの頃やかましい勞働者の小兒預り所は、一體どこにあるんです? 國民圖書館はどこにあるんです?  一つ教へて下さいませんか。そんなものは小説に書いてるだけで、本當にはまるでありやしない。あるものはただ垢と、凡俗と、アジア風の生活ばかりです…… 僕はあまり糞眞面目な顏が、おそろしくもあれば嫌ひでもあります。僕は糞眞面目な話を恐れます。それよりいつそ默つてゐた方がいい。
    さらにまた「三人姉妹」に於ては、トウゼンバツハ氏とマーシヤさんが、次のやうな會話を交してゐる。
        トウゼンバツハ――二百年三百年後はおろか、たとへ百萬年の後でも、生活はやはりこれまでの通りです。我々に何の關係もない――少くとも、我々の到底知る ことの出來ないやうな、それ自身の法則に從ひながら、生活は永久に變ることなく、常に一定の形を保つて續いて行くでせう。渡り鳥、まあ、例へば鶴などが飛 んで行くとする。そして高級なものか低級なものか、とにかく、どんな考へがその鶴の頭に宿つてゐるとしたところで、彼等は依然として飛んで行きます。そし てなぜ、どこへといふ事は知らないのです。たとへ、どんな哲學者が彼等の間に現れようと、彼等は現在も飛んでゐるし、また未來も飛んで行くことでせう。何 とでも勝手に理窟をこね廻すがいい、おれ達はただ飛べばいいんだつてね……
        マーシヤ――それにしても意味といふものが――
        トウゼンバツハ――意味ですつて……いま雪が降つてゐる、それに何の意味があります?
    津輕地方のインテリゲンチヤたちも、實にこの「意味」の追及に熱心である。月日は流れる水の如く、と言へば、それはどんな意味ですとすぐに反問する。
    所謂サンボリスムの習練などは全く無い。

山田詠美『ひざまずいて足をお舐め』

    自分が傷つけられるって意識するばかりで、人を傷つけたらどうしようって悩んだりはしないから、被害者意識だけで毎日が過ごせた。被害者意識って、すごく お気楽なものだよね。本当の心地よさを知らない人間が持つ、じゃなかったら、本当の心地よさを味わったことを忘れてしまった人の持つ醜いものだよ。人間に は基盤ってものがすごく大切だと思うんだ。幸福ってことを知ってる人、人を傷つけてはいけないことを知ってる人は、どちらかっていうと、いつも加害者意識 で自分を傷つけている。こっちの方が人間として、ずっと上等なだけ、はるかにつらいことだと思うんだ。

山田詠美『ひざまずいて足をお舐め』

   世の中には、色々な人がいるよなぁって私は思う。ぶたれることで快楽を得る人もいれば、ぶつことで得る人もいる。くすぐられることが一番、好きな人もいる んだものね。そうされることをお客が望んで、私なんかに辱められて、満足するのも、彼らが、本当に守られるべきものは、ちゃんと守っていることが出来るか らだろう。どんなに裸になって辱められても、結局、その人たちが持つ基本的なものは決して辱められることはない。それを辱められたら、人間は生きては行け ないし、そして、それは、裸になった体の表面には、ないものなのだ。だから、彼らは、私の目の前で、どんな醜態をさらしたって平気だ。私たちと客の間に は、そういう暗黙の了解がある。
   でも、やはり、肉体を他人の手に預けてしまうというのは勇気のあることだ。そして、それをしてくれる客たちを、 どうして軽蔑することなんか出来るだろうか。早苗もねえ、外側なんだよ、外側。かぶってる皮をぷちんと破れば、まわりのものが皆、愛すべきものに見えてく るのにねえ。

山田詠美『ひざまずいて足をお舐め』

    私は、外側からのものを自分のフィルターを通して、内側に持って行って、それをまた、外に出すという面倒なことをしなきゃ、自分の存在を確認出来ないわ け。でもさ、そうじゃなくて、自分の内側で、最初から、ものをあふれさせて、それを自分のフィルターを通して、外に出すだけで、しっかり自分自身を作り上 げちゃう人もいるのね。そういう人は、私より、心の器官が一つ少なくてすむのよ。すごく、いいなぁって、私は時々羨ましいね。私の選ぶ男の子たちは皆、そ う。お姉さんもそうだと思う。それが、さっき言った、文学をするのではなくて、その人自体が文学だってことなの。ちょっと、ややこしくって、文学なんて言 葉、赤面しちゃうんだけどさ、もしも、絶対的な音楽があるとして、そういう人たちは体から、その音楽を流してるんだ。私は、そう出来ない。外から入ってく る色々な音を自分の内に溜めてそれから音楽を創って外に出すやり方しか出来ない。そして、それが私の場合、小説を書くことなんだけどね。

赤坂真理『ミューズ』

    歯が再生しないということが私にはひどく怖かった。肌は傷ついても自己治癒し、内臓だって薬や手術で治るし元に戻る、半分に切られても復元するものさえある。なのに歯だけが、折れたり虫歯になったり削ったりしたら、二度と元に戻らない。

つげ義春『蒸発旅日記』

    宿屋に戻ってからも、私は彼女の視線が意味ありげに思え寝つけなかった。睡眠薬を常用していたがそれでも眠れず、クスリのせいで酒に酔ったような気分で もう一度ストリップ小屋に行ってみると、一回の公園の終わったあとで客席は空だった。私は次の開演まで客が集まるのが待ちきれず、何人集まると始めるのか 訊いてみると、最低五、六人ということなので、一人で五人分の料金を払い舞台を独占した。
    彼女はバタフライ一つだけ付けただけで踊ろうとしたが、私は手招きして自分の目の前に坐らせた。私は舞台のかぶりつきの椅子に掛け、彼女は前に出てきて 正座した。間近に彼女の太ももを目にして私はそっと触ってみた。すると俄かに感情が高ぶり、次に頬ずりをした。彼女はじっとされるままにしていたが、私は 何故かせつなさがこみ上げ、彼女の腰に手を回しすがりつくように抱きしめた。彼女は優しく私の髪をなぜた。舞台に流れる甘いメロディの効果もあったのだろ う。私は、
「こうしているだけでいいんだ、こうしていると何となく安心できるんだ」